生野銀山
生野銀山(いくのぎんざん)は、兵庫県朝来市(但馬国)に開かれていた戦国時代から近代にかけての日本有数の銀山です。
明治新政府が日本の鉱業(鉱山・製鉱所)の近代化を確立するために最初に官営(直轄)鉱山とした模範鉱山でもあります。
かつては、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった時の権力者は直轄地とし、佐渡金山(越後)、石見銀山(石見)とともに重要な財源としました。
江戸時代に入ると生野奉行が置かれ、第三代将軍・家光の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出したといわれています。
明治元年(1868年)から日本初の政府直轄運営鉱山となり、鉱山長・朝倉盛明を筆頭として、お雇いフランス人技師長ジャン・フランシスク・コワニエらの助力を得て、先進技術を導入し近代化が進められました。
明治22年(1889年)から宮内省所管の皇室財産となり、明治29年(1896年)に三菱合資会社に払下げられ、国内有数の鉱山となりました。
昭和48年(1973年)3月22日、資源減少による鉱石の品質の悪化や、坑道延長が長くなり採掘コストが増加、山ハネなどにより採掘が危険となったことから閉山が決定し1200年の歴史に幕を閉じました。坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達しています。
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